No.7

この日は朝9時出発で、エカテリーナ宮殿に行ってきました。バスで1時間ほど。広大な平地に作物は少なく、日本の大地の豊かさを感じます。到着少し前、ここがサンクトペテルブルグで最も標高が高い丘とナターシャさんが解説してくださった。その丘の標高は11メートル。エカテリーナ宮殿周辺は第2次世界大戦でドイツ軍との戦闘が最も激しかったところ。この攻防戦ではレニングラード(現サンクトペテルブルグ)で100万人が死に、そのうち65万人が飢え死にだった。ドイツ軍は100万人の兵力でこの町を包囲し、ヒトラーはすぐに陥落すると予想していたが、ついにこの町が陥落することはなかった。次回ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を演奏する時は、前回とは違った気持ちで演奏できることでしょう。実際に行って体験し話しを聞くと、やはり強烈な印象が残ります。


エカテリーナ宮殿に到着。この日の最低気温は氷点下。水たまりは氷になり、霜が降りている中を入り口で30分待たされました。寒い!ちなみに真冬はマイナス20℃ぐらいは普通だそうです。これは宮殿横の入り口から入ったところで撮った写真です。


中でも30分ほど並びました。入る前に床を傷めないため靴に袋を被せます。ここでは必ず団体行動。各グループにガイドがつき、集団は前の集団を追い越さず、後ろの集団に迷惑にならないよう、適度な速さで進まなければなりません。これは大広間。天上は1枚の絵、床は寄せ木。多くの窓と壁のガラスが広さを強調している。装飾は金箔されていますが木彫りです。
18世紀末、大黒屋光太夫ら日本人の船乗りが漂流し、ロシアに漂着。しばらく日本語を教えたりしながら暮らしていましたが、帰国したいという強い気持ちから遥かサンクトペテルブルグまで旅し、この広間でエカテリーナ女帝に謁見し、帰国の許しを得ました。

琥珀の間はさすがに素晴らしかったですが、ぶれた写真と眠くて死にそうなひどい私の顔つきの写真しかないので、残念ながら割愛します。代わりに絵画の間をご覧ください。

この宮殿はドイツ軍によってひどく破壊されました。ドイツ軍の進攻が速かったために、絵画を持って逃げるのが精一杯だったそうです。ドイツ軍は退却する時、この宮殿の地下に8つの爆弾をしかけました。幸いそれらの爆弾は爆発しませんでしたが、もし爆発していたら、こうして現在この宮殿を見ることはできなかったでしょう。この宮殿はまだ修復中で、完成には後数十年かかりそうです。我々が見たのも全ての部屋ではなくその一部でしたし、見た部屋の中にも未完成のものがありました。


これは出口側からの写真です。庭園も広大で見事でした。時間があればもっとゆっくり1日かけて過ごしたい場所です。

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